カイロプラクティックとは
「chiropractic,chiro = もとギリシア語で、手の意」背骨や骨盤の歪みを徒手によって矯正する治療法。「広義では、薬物や手術による方法を除く体操、食餌(ショクジ)、物理療法を含む治療法を指す」(新明解国語辞典 第5版:小型版 1999年1月10日 第12刷発行 金田一京介(きんだいちきょうすけ)発行所三省堂より引用)
「chiropractic,chiro = もとギリシア語で、手の意」背骨や骨盤の歪みを徒手によって矯正する治療法。「広義では、薬物や手術による方法を除く体操、食餌(ショクジ)、物理療法を含む治療法を指す」(新明解国語辞典 第5版:小型版 1999年1月10日 第12刷発行 金田一京介(きんだいちきょうすけ)発行所三省堂より引用)
カイロプラクティックとは哲学、科学、芸術の集まった自然の法則に沿った療法です。それは骨格構造、特に脊椎や骨盤に著われる異常に対して、手を用いて矯正(アジャスト)し、生体の神経整理機能の改善を図り、健康の回復と増進に寄与する学問と治療法です。その専門家がカイロプラクターと呼ばれ欧米では一般の医師と同様の資格と地位が約束されています。
カイロプラクティックは米国のD.D.パーマーによって1895年に創始され、大正時代に日本に紹介されました。カイロは人間の病を「部分」としてでなく、背骨と神経の関係を中心とした「全体」として捉え、骨格構造を整える技法なので、日本人の生活習慣を考えるとカイロの需要は高まることでしょう。
D.D.パーマー
カイロプラクティックはアメリカで100年以上前にD.D.パーマー(D.D.Palmer)により発見された新しい医療です。カイロプラクティックとは、パーマーの患者であり友人でもあったサムエル・ウィード(Samual H.Weed)によって名づけられた言葉です。
D.D.パーマーは9年間の間、人間の病気の根源を研究していました。D.D.パーマーは雑役夫をしていたハービー・リラード(Harvey Lillard)が、17年間耳が聞こえないことを知り、どうしてその様になったかを聞くと「17年前のある日、窮屈な姿勢で身をかがめた時、何かが背中を走るような感じがして、それっきり何も聞こえなくなった。」と答えました。D.D.パーマーはその時の状況に興味を持ち、リラードの脊柱を検査している時、椎骨に盛り上がり瘤が出来ているのを発見しました。
D.D.パーマーはその椎骨をもとに戻せば聴力が回復するのではないかと考え、リラードを説得して両手でその椎骨を押し込んだ瞬間、17年間失われていたリラードの聴力が回復しました。それが1895年9月18日のことであり、世界で最初にカイロプラクティックが誕生した瞬間です。
D.D.パーマーのカイロプラクターとしての人生は18年間と比較的短いものでありましたが、カイロプラクティックの発展に全てを捧げました。その意志は、息子でもあるB.Jパーマーに引き継がれ、孫のD.D.パーマー3世の時に科学的に認められ、法制化されました。現在、認可されている18校の専門大学の卒業生は、「脊椎の専門家」として米国では年間数多くのカイロドクターが誕生しています。
“THE DOCTOR OF THE FUTURE WILL GIVE NO MEDICINE BUT WILL INTEREST HIS PATIENTS IN THE CARE OF THE HUMAN FRAME,IN DIET,AND IN THE CAUSE AND PREVENTION OF DISEASE.” THOMAS A.EDISON
『将来の医術者は薬を使わずに、人間の骨格構造・栄養・病気の原因と予防に注意を払うようになるだろう。』 トーマス・エジソン